#仕事
縁を大切にする移住のありかた
2021.07.30
知らない町へ移り住み、新しい仕事をはじめる。
新天地での第一歩には、期待もあれば不安もあると思います。
移住した人たちはどのようなタイミングで、どのような決断をし、それぞれの人生を歩んでいるのでしょうか。
今回、県外から都農町へ移住してきた小松原駿さんにお話をうかがいました。
勉強一色だった学生時代を乗りこえて
地域おこし協力隊として、ツノスポーツコミッションに所属する小松原さん。農業などの労働力対策や、移住・定住対策、情報発信など、都農の活性化のために日々活動されています。ツノスポーツコミッションには多くの地域おこし協力隊が在籍しており、そのとりまとめ役も務めます。

小松原さんは東京で生まれ、弟の誕生とともに3歳のときに千葉へ移住。友人関係に恵まれた楽しい子ども時代を過ごしたそうですが、高校受験のタイミングでほかの人と違うところへ行ってみたいと思い、通学に1時間以上もかかる高校へ入学します。しかしそこで、進学校の厳しい現実に直面しました。
「学校生活のテーマがほとんど受験勉強になってしまった、という後悔が10代のころはありました。もちろん得たものもあっただろうけど、なんだか失ったもののほうが多いのではと感じてしまっていました」。
大学の経済学部に進んだ 小松原さんは、休学中に知人の紹介を受けて岐阜のサッカークラブで活動することに。そこでは、自分たちが地域へ出ていって地域住民に貢献することをテーマとした、まさに現在ツノスポーツコミッションで行われている活動をしていたそう。
「自分の体を使って何かしたい、と思っていたんですね。商店街のイベントに参加したり、福祉施設を訪問したりと、地域のためになる活動をみんなで考えながら実行していました」。
地域へ密接に関わりつづけた1年間。その経験が、今の小松原さんの活動に通じています。

翌年、復学する予定だった2011年に東日本大震災が起こり、小松原さんは戸惑いました。
「毎日ニュースを見ながら考えこんでいました。思い返せば一つのターニングポイントですね。今まで当たり前だと思っていた価値観を見直して、社会全体が一度立ち止まるべきなのではと思いました」。

大学で就職活動をしないと決めた小松原さんは、その後あちこちへ移り住みながら、さまざまな活動を行いました。なんと日本酒づくりをしていた時期もあるのだとか。やがて岐阜のサッカークラブで活動した縁から、ツノスポーツコミッションに地域おこし協力隊として所属することになります。
その場所で求めれるものに応えていく
人とつながってきた縁があって自分はここにいる、と小松原さんはいいます。
「移住の仕方っていろいろあるから人それぞれだと思うんですけど。僕はご縁をいただいて都農にやってきたので、それを大切にしたい。住む場所に自分が合わせていこうと思っているんです。たとえば、ここは住みにくいから自分に合うところへ移ろう、というようなことはないですね。この場所で求められることをやっていきたい」。
 
時に立ち止まって考えながらも、活動のフットワークは軽く、そして人との縁を大切にする。
小松原さんの人生の指針はこれから移住を考えている人たちはもちろん、何かに挑戦したいと考えている人たちにとっても興味深いものではないでしょうか。
都農町に「アジール」を
小松原さんの人生は、たくさんの本とともにありました。
予備校時代に講師からニーチェやゲーテを勧められ、本の魅力にどっぷり浸かったそう。その後、哲学者で思想家である内田樹の学塾に弟子入り。兵庫県で暮らしていた頃には、自宅で図書館を開いた青木真兵さん・青木海青子さんらと交流を深め、おふたりの著書『彼岸の図書館』のなかでは対談もされています。
そうして本から培ってきた知見を、小松原さん自身の青写真にどのように映していくのでしょうか。
「一般的な制度とはちょっと違う原理で動いている、社会の隙間のようなものを、都農町でつくりたいんです。いわゆるアジール(=聖域・逃げ場所)ですね。そこで本を読むことができたり、文化に触れることができたらいいなと思っています」。

町のみんなで文化をシェアし、職場や家とはまた違った過ごし方ができるような居場所づくり。これは特定の場所でなくても、書籍や小冊子のような形でも可能なのでは?と、アイデアが膨らんでいるそうです。

まずは冊子をつくり、都農町の外へ発信していくことが目標と語る小松原さん。
静かな情熱のなかで育まれていく文化に、期待が高まります。


【一般社団法人ツノスポーツコミッション】
〒889-1201
宮崎県児湯郡都農町大字川北1142-1
TEL : 0983-32-0137 FAX : 0983-32-0138
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