#暮らしのこと
映画翻訳の仕事と終わらないストーリー
2022.02.03
事実は小説よりも奇なり。ドラマのような不思議な出来事を指す言葉ですが、私たちの人生を事細かく見ていくと、意外にもフィクションにありがちな物語が展開されていることに気づきます。人生は出会いとドラマの連続で、自分でも予期せぬ場所へ連れて行かれる。生き方も劇的ながら、期せずして映画翻訳家として生活をする方が都農町にいました。
小さなハリウッドからはじまった人生
映画翻訳家の税田春介さん。ブラッド・ピッドの怪演が話題となった『ファイト・クラブ』、90年代に熱狂的なファンを獲得したイギリス映画の続編『T2 トレインスポッティング』、低予算ながら世界中でヒットしアカデミー賞も獲得した『ONCE ダブリンの街角で』など映画をはじめ、数多くの字幕・吹替翻訳を手掛けています。ドラマの仕事も含めるとその数は1000作品以上。

「映画の翻訳の仕事をしている人は身近にいますか」と質問してみて「います」と答えられる人がどれほどいるでしょうか。都市圏ならまだしもここは宮崎県。映画翻訳家というなかなか出会うことのない職業。しかし、その仕事の成果としての作品自体は、娯楽として味わっているためとても身近な存在ともいえます。

税田さんは軍艦島の出身。軍艦島は今でこそ観光スポットですが、税田さんが生まれた1959年当時は石炭産業の要所でした。生活のすべてを島で完結することができ、一時は人口密度が東京の9倍となるほど栄えていた場所でした。税田さん曰く「島は小さいハリウッドのようでした」。

1963年、4歳のときに家族で千葉県船橋市へ引っ越し、そのまま20年以上千葉〜東京で暮らすことになります。
人生の転機が訪れたのは大学4年生のとき。交通事故に遭ったものの、奇跡的に五体満足でいたことから「人生、なんとかなるな」と、遊んでいた暮らしから一転、朝から晩までさまざまなアルバイトをして働くように。スナックで働いていたときにマスコミ関係者と知り合い、映画翻訳家として著名な菊池浩司さんを紹介してもらいます。その下で働きはじめたことが、映画翻訳家として活動するきっかけとなりました。
世界の片隅の都農町で、世界の映画を翻訳する
都農町で暮らすまでは映画翻訳の仕事を一生の仕事とするつもりはなかったそう。
実際3年で仕事を離れ、東南アジアへと旅にでます。
そもそも税田さんはなぜ都農町で暮らしているのでしょうか。

税田さんのお父様は都農町の出身でした。千葉で定年を迎えたあと、セカンドライフとして故郷に家を建てて暮らしはじめます。都農町に住みはじめて6年目、お母様が亡くなったことで「親父が一人では酒飲んでばかりになりそうだから」と心配した春介さんはネパールから帰国して一緒に住むように。

都農で生活していくためにも仕事が必要と思った税田さんは、以前いた会社に連絡。試験にパスし、映画の字幕翻訳の仕事をもらいます。実は本格的に翻訳の仕事をはじめたのは都農町に来てから。

「東京にいたころは3年ほど菊池浩司さんの会社にいて、そのときは原稿チェックが主な仕事だったんです。著名な翻訳家の原稿を見ながら『自分ならこうする』って書きこんだりして『これやったのは誰だ!? こっちの方がいいじゃないか!』ということがたびたびありました」。
依頼される仕事はなんでもこなし、いつしか「税田に任せればなんとかなる」とアジア映画など英語圏以外の作品も翻訳していくように。とはいっても税田さん自身は英語もほかの外国語も「できない」といいます。

「天才だから翻訳できちゃうんです(笑) というのは冗談、当然いろんな辞書を引いていますよ。あとはヒラメキと運の良さの世界」。

最初は字幕だけでしたが、吹替の仕事も取り組むようになり忙しい日々を送るなかで、いつしか30年以上が経過していました。
既存の価値観やルールの外側に見える物語
「翻訳の仕事といっても、字幕と吹替では脳の使い方がまったく異なるんです。字幕はクロスワードパズル。1秒間に4文字しか入らないという制約をどう活かすか。吹替は役者の口の形に母音を合わせる必要があって、喋りながら原稿をつくっていきます。役者だけじゃなくて、周りの会話やニュースの言葉も原稿化するので字幕の3倍は時間がかかるんですよ」。
聞くからに大変、というより頭が沸騰してしまいそうです。私たちが映画を楽しむ裏に苦労あり。そんな仕事の進め方がある一方で、税田さんは若手翻訳家たちは既存のルールに縛られ過ぎているとも指摘します。

「翻訳は感覚勝負。日常の会話でも、おもしろい・おもしろくないって一瞬でわかってしまうものでしょ」。

前例やある枠組みに沿わなければいけないと思ってしまいがちな私たち。しかし、そのルールも先人たちが設定してきたものであり、それは絶対ではない。税田さんの話を聞いていると、プロの翻訳家としての感覚以前に、生き方や物事の捉え方に柔軟さを感じます。

「人生通して体験してきたことが大きいですね。インドを旅したときは日本とは正反対の価値観を味わったし、ひょんなことから映画の世界に入り、バブルがはじけて仕事がなくなったときも、プライド捨てたら周りが助けてくれて気持ちが楽になったり。今は楽しく生きていくことがモットー。テキトーです」。
映画の吹替は90分1作品につき2万字〜7万字だそう。しかし、人一人の物語にはこの字数では要約できない濃密さがあります。いろんなドラマを経験し、映画という物語と向き合いつつ、都農町で暮らす税田さんの「お話」はまだまだ続きそうです。
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