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世界一周した私が子どもたちに伝えたい冒険すること
2025.02.14

「子どものときは都会や海外に強い憧れがあったけれど、今は田舎がいいですね。そう思えるのは、いろんな場所を自分の目で見てきたから。大を知って、小の良さを知りました」
どこに生まれ暮らそうとも、人は「外」の世界との出会いを通じて変わっていく。パラレルキャリアを選択し、空手道や英会話を教える女性と出会いました。
どこに生まれ暮らそうとも、人は「外」の世界との出会いを通じて変わっていく。パラレルキャリアを選択し、空手道や英会話を教える女性と出会いました。
多面的なキャリアを生かし二拠点で活動
都農町の港町、下浜で生まれ育った俵志穂さん(旧姓:河野)。現在は宮崎市に住まいを置き、都農町と二拠点で活動しています。志穂さんは英会話講師であると同時に、ユニバーサル松濤館(しょうとうかん)空手連合の指導員として働いています。
かつては管理栄養士の仕事をしたり、ライターとしてインタビュー記事を書いたりと、多面的なキャリアを築いてきました。
かつては管理栄養士の仕事をしたり、ライターとしてインタビュー記事を書いたりと、多面的なキャリアを築いてきました。

志穂さんの遍歴をたどると、そのユニークさが目を引きます。空手道に明け暮れた中高生時代、20代で経験した世界一人旅、結婚・出産を経てフリーランスとして枠にとらわれずに働いている。
「人にいわれて何か行うのが苦手な性格です。幼いときから自分でやってみて、納得したい気持ちが強かった」
「冒険が好き」だという志穂さんですが、その生き方は家族の影響もあるようです。
4人兄弟の3番目として育った志穂さん。両親は子どもたちになんでも挑戦させたようで、近所のお使いから遠方のサマースクールまで小さな成功体験を積み重ねてきたと話します。
そんな環境が影響してか、兄は青年海外協力隊で活動し、姉はワーキングホリデーで渡航。以前「つのマガジン」で紹介した弟の文也さんは協力隊としてベトナムで活動し、都農へ帰郷後は「都農コミュニティクラブ」を起業しています。
「人にいわれて何か行うのが苦手な性格です。幼いときから自分でやってみて、納得したい気持ちが強かった」
「冒険が好き」だという志穂さんですが、その生き方は家族の影響もあるようです。
4人兄弟の3番目として育った志穂さん。両親は子どもたちになんでも挑戦させたようで、近所のお使いから遠方のサマースクールまで小さな成功体験を積み重ねてきたと話します。
そんな環境が影響してか、兄は青年海外協力隊で活動し、姉はワーキングホリデーで渡航。以前「つのマガジン」で紹介した弟の文也さんは協力隊としてベトナムで活動し、都農へ帰郷後は「都農コミュニティクラブ」を起業しています。

(志穂さんは都農コミュニティクラブで「スポーツアクティビティイングリッシュ教室」を担当)
志穂さんも10代のころはパティシエになる夢を持ち、将来はフランスで修行したいと考えていました。
しかし、人生とはわからぬもの。空手道や異文化との出会いを通じて志穂さんの生き方は大きく変わっていくのでした。
しかし、人生とはわからぬもの。空手道や異文化との出会いを通じて志穂さんの生き方は大きく変わっていくのでした。
体の一部となった空手道。価値観揺さぶられる世界一人旅

(エジプトの砂漠で蹴りを披露する志穂さん|写真提供:俵志穂)
小学5年生のとき、友人の誘いではじめた空手道。当初は人付き合いの面が強く、練習は二の次でした。中学校で空手道部に入るも、同級生は次々と辞めていき、一時は女子部員が自分だけという状態に。
「寂しい思いもしたけれど自分に負けなくて良かったです。辞める選択肢なんてありませんでした」
試合に勝つようになると少しずつ楽しくなってくる。高校では主体的に活動できたこともあり、空手道にのめり込んでいきます。全力で臨んだインターハイは悔しい結果となり、部活を引退後は燃え尽きるように空手道から離れていきました。
「もう空手はしないと思っていたけれど、離れてみると存在の大きさに気づくものですね。福岡の大学を卒業して宮崎に帰ってきたタイミングで『国体を目指したいので本気で空手を教えていただけませんか』と恩師に直談判しました」
病院で管理栄養士として働きつつ、退勤後は空手道で汗をかく日々。
転機は重なるもので、この時期には重要な出会いもありました。
当時まだ珍しかったシェアハウスで暮らしはじめた志穂さん。住人や催しで集まる人の多くが世界を旅した経験があり、その場所自体も海外客が訪れることが多く、触発されるように世界一人旅を決意します。
「寂しい思いもしたけれど自分に負けなくて良かったです。辞める選択肢なんてありませんでした」
試合に勝つようになると少しずつ楽しくなってくる。高校では主体的に活動できたこともあり、空手道にのめり込んでいきます。全力で臨んだインターハイは悔しい結果となり、部活を引退後は燃え尽きるように空手道から離れていきました。
「もう空手はしないと思っていたけれど、離れてみると存在の大きさに気づくものですね。福岡の大学を卒業して宮崎に帰ってきたタイミングで『国体を目指したいので本気で空手を教えていただけませんか』と恩師に直談判しました」
病院で管理栄養士として働きつつ、退勤後は空手道で汗をかく日々。
転機は重なるもので、この時期には重要な出会いもありました。
当時まだ珍しかったシェアハウスで暮らしはじめた志穂さん。住人や催しで集まる人の多くが世界を旅した経験があり、その場所自体も海外客が訪れることが多く、触発されるように世界一人旅を決意します。

「英語が話せなくても海外に行けるんだ! と自信をもらいました。みんな価値観にとらわれず物事に柔軟な人ばかり。思い込みが外れ、自分が良い意味で崩れていくのを感じましたね」
その後、志穂さんはバックパッカーとして約1年かけて世界を一周します。「話せなくてもコミュニケーションは意外と問題にならなかった」と当時を振り返ります。
異文化を経験することで、また一段と志穂さんは変わっていくのでした。
その後、志穂さんはバックパッカーとして約1年かけて世界を一周します。「話せなくてもコミュニケーションは意外と問題にならなかった」と当時を振り返ります。
異文化を経験することで、また一段と志穂さんは変わっていくのでした。
楽しむ背中を見せることが子どもたちを幸せに導く
現在所属している松濤館空手連合は世界14ヵ国に支部を設けています。志穂さんは世界一周をする過程でたびたび各国の道場を訪れ、現地の人たちに空手道を教えていました。
そのなかで海外では「空手の先生」が仕事として確立していることに衝撃を受けます。
「日本では本業を持ちつつ副業かボランティアとして先生を務めることが多いんです。先入観が解けて、空手を仕事にしてもいいんだ、私にもできるかもしれないと思いました」
そのなかで海外では「空手の先生」が仕事として確立していることに衝撃を受けます。
「日本では本業を持ちつつ副業かボランティアとして先生を務めることが多いんです。先入観が解けて、空手を仕事にしてもいいんだ、私にもできるかもしれないと思いました」

(空手道指導中の志穂さん|写真提供:俵志穂)
また、この旅は英会話講師になるきっかけも与えました。
「英語は苦手意識があり、私は話せないなあ…とマレーシアの友人にぼやいたところ、『わからない言葉があったら聞かないとダメだよ。伝えたいことがあるなら何度でも頑張って伝えなさい』と返されて。その言葉に反省して頭を切り替えましたね」
それ以来、旅の日常会話で英語を鍛え、1ヶ月後にはある程度話せるようになっていたといいます。
帰国後はシェアハウスで出会った夫と結婚し、娘を出産。また、宮崎市内の空手道場を受け継ぎ、指導員としても活動をはじめます。
「空手や英会話を通じて、自分の手の届く範囲で子どもたちをハッピーにさせたいなと思っています。閉塞感漂う世の中で、大人になりたくないという子どももいます。我慢せずになんでも挑戦している姿を見せることで『大人になったらこんなに楽しいんだよ』というメッセージを子どもたちには送り続けたいです」
「英語は苦手意識があり、私は話せないなあ…とマレーシアの友人にぼやいたところ、『わからない言葉があったら聞かないとダメだよ。伝えたいことがあるなら何度でも頑張って伝えなさい』と返されて。その言葉に反省して頭を切り替えましたね」
それ以来、旅の日常会話で英語を鍛え、1ヶ月後にはある程度話せるようになっていたといいます。
帰国後はシェアハウスで出会った夫と結婚し、娘を出産。また、宮崎市内の空手道場を受け継ぎ、指導員としても活動をはじめます。
「空手や英会話を通じて、自分の手の届く範囲で子どもたちをハッピーにさせたいなと思っています。閉塞感漂う世の中で、大人になりたくないという子どももいます。我慢せずになんでも挑戦している姿を見せることで『大人になったらこんなに楽しいんだよ』というメッセージを子どもたちには送り続けたいです」

(英語指導の一環として、みんなで「cheap(安いもの)」と「expensive(高価なもの)」を探して回る)
「住んでる世界は小さいけれど、生きている世界は大きい」と、旅を通じ、感じるようになった志穂さん。
宮崎市と都農町を行き来する今の生活は、とても心地良いといいます。
宮崎市と都農町を行き来する今の生活は、とても心地良いといいます。
【ユニバーサル松濤館空手連合 宮崎道場】
場所:宮崎県宮崎市広島2丁目12−30 金丸電機2F
練習日:水曜日 17:00〜19:00/土曜日 15:00〜17:00
(宮崎道場の詳細)
場所:宮崎県宮崎市広島2丁目12−30 金丸電機2F
練習日:水曜日 17:00〜19:00/土曜日 15:00〜17:00
(宮崎道場の詳細)
【スポーツアクティビティイングリッシュ教室(都農コミュニティクラブ)】